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PEGと尊厳死:患者の自己決定権の尊重を

国立九州がんセンター 名誉院長
西日本尊厳死協会 会長
大田 満夫
大田 満夫

●PEGはどこまでの医療か

 慈恵会医科大学外科の鈴木裕講師は、PEGによる経腸栄養の大家であるが、次のような心配をしておられる。
「確かにPEGは、患者さんのQOL(Quality of Life)を向上させるし、介護の負担も軽減する。経済的なメリットも大きい。しかし単なる延命であっては、非倫理的な行為になりかねないのではないのだろうか。……私は多くの患者さんにPEGを行ってきたが、そのすべてに医師として満足しているかといえば、決してそんなことはない。」とその悩みを吐露しておられる。この医の倫理上の悩みは、がんによる末期医療や、意識障害のある患者、ことに植物状態の患者の医療の場合に生じてくる。
PEGを含む経腸栄養が無意味な延命治療ではないのか?あるいは患者のQOLを落としているのではないか?患者の利益よりも害が多いのではないか?など思い悩むのである。

●経管(腸)栄養施行は患者のインフォームドコンセントによる

 医療の目的は、患者のQOLの保持・向上である。医療は患者に利益があるから行うもので、利益よりも害が多ければ行うべきではない。経管栄養を行う利益として、栄養がよくなり長く生きる、難治性の褥瘡などがよくなる、介護者が食事を食べさせる手間が省ける、などがある。一方害として、誤嚥性肺炎が多くなる、制御が必要になる、介護者の気持が患者から離れるなどがある。

 同じ経管栄養法でも、PEGは軽鼻胃管法に比べ、抑制の必要が少なくなり誤嚥性肺炎の頻度も減少すると言われている。しかし、患者の状態や食欲を注意深く観察せず、本人が欲していないところへ流れ作業のように栄養剤を投与すれば、当然嘔吐を催し胃内容物が口まで逆流するため、誤嚥性肺炎を惹き起こす危険性はある。PEGといえども、患者の状態を見極めて看護(介護)にあたる体制が整っていなければ、必ずしも誤嚥性肺炎の発生頻度が減少するとはいえない。

 結局、経腸栄養を行うか、行わないか、あるいは中止するかは、患者の意思にかかっており、インフォームド コンセントに基づくべきである。そのためには患者に、病気の十分なる情報を伝えなければならない。病名はもちろん、回復見込みの有無、末期状態であれば余命の期間を伝え、さらに経腸栄養についての知識、功罪についても十分話し、患者本人が自己決定権を行使できるようにしなければならない。PEGによる経腸栄養の施行についても、患者の価値観に基づく自己決定に従って、医師が対処することが原則である。

●経腸栄養の倫理

 さて次に、PEGを含む経腸栄養についての基本的な倫理上の問題を検討しよう。

1.経腸栄養は医療であるか

 栄養や水分を与えることは、他の医療とは異なり、人間の基本的なケアである、という主張がある。経腸栄養は、患者と医師の結びつきを強め、死んでいく患者に栄養を与えることは、臨床的、社会的、心理的に安易な安楽死が広まるのを防ぐ防波堤になる、と主張する人も多い。しかし、1980年代アメリカの生命倫理に関する大統領特別委員会は、経腸栄養は医療であり、普通の医療と異なるものではない、とした。医療であればゴールがなければならない。回復の見込みのない状態の人に行う経腸栄養にはゴールがない。いかなる医療においても限りなく持続することは問題である。

 また、経腸栄養は適応、利益と負担のバランスを考慮して行われるべき医療であり、経腸栄養がときに害になり、ケアにならないこともあることを知るべきであるとの報告もでた。自分で摂取する意欲や力がないのに、栄養、水分を強制的に補給されるというのは不自然であり、時には有害である。衰えて食べ物もとらなくなって、枯れるように死ぬのが自然だともいわれる。このように近年は、経腸栄養は常に必要なよいことだとはいえなくなっている。日本でも、ことに末期患者においては、緩和ケア病棟やホスピスの患者は大学病院の同様の患者より、輸血量が1/2~1/3と少なく、体液量をdry sideにおくほうがQOLがよいことが明らかにされている。末期患者の脱水は、通常の脱水と違って快適な状態であることは、ホスピスでは有名な事実である。

 東海大学病院の安楽死事件の1995年の判決の中で、患者が回復の見込みもなく死が避けられない末期状態にあり、治療行為の中止を求める意思表示がある場合には、治療行為の中止が許可されるとし、しかも生命維持のための栄養・水分の補給も中止してよい、としている。

2.患者の意思確認と植物状態患者

 安楽死、あるいは治療中止を行う場合には、患者本人の、その時点での尊厳死、治療中止への明白な意思表示が絶対必要である。それが困難な場合の患者の推定的意思の認定には、リビング・ウィル、尊厳死の宣言書(日本尊厳死協会)の提示が有力な証拠となる。
植物状態になった患者では意思表示ができない。この場合、本人の延命治療拒否の意思を確認できる近親者等の証言は尊重され、治療中止は可能になるが、積極的安楽死(薬物を用いて早く死なせる)においては、近親者でも患者の意思代行は認められないのである。
治療の中止措置は、当然担当医が行わなければならないが、末期医療は近親者抜きではできないので、医師は近親者と十分話しあって、納得した上での中止が望ましい。

 日本学術会議の死と医療特別委員会では、患者の意思を無視した延命医療は過剰医療とみなしており、患者の求めた延命医療中止を医師が認めて医療を中止しても、なんら倫理と法にもとるものではないとしている。日本医師会の生命倫理懇談会も、尊厳死を正当な選択として認めている。

 ちなみに、尊厳死が安楽死と異なるところは、患者自身の自己決定権による自然死(natural death)の選択である。積極的に死を早めることではなく、また人為的に死期をを延ばすことでもない。十分な鎮痛と介護を受けるが、積極的な延命治療はしないという、本人の意思に基く自然死のことである。

3.PEGの末期患者における適応

 PEGの適応と禁忌については本文で詳述されると思うが、鈴木裕医師は、一般的には、正常の消化管機能を有し、4週間以上の生命予後が見込まれる患者が適応になると記しておられる。1か月以内に死が訪れるような患者にはPEGをしないとの意見は、極めて適切なものと思う。

●まとめ

 意識のある患者では、インフォームド コンセントが得られた患者にPEGを行うことは当然である。意思表示のない患者、あるいはできない患者には、上記の1,2,3項を考慮されれば、おのずから施行、不施行、中止が決まってくるものと思う。

 生命維持のための栄養・水分の補給の中止については、尚異論も多いところではあるが、裁判の判決においても条件がととのえば許容される時代になってきたのである。日本においては、現在、死にたくても死ねないという状況がしばしばみられる。患者の自己決定権を十分尊重する社会にしなければならないと考える。

「PEGへのご案内」(2001年6月30日発行)より