「認知症患者の胃ろうガイドラインの作成調査 報告書」へのご意見
「認知症患者の胃ろうガイドラインの作成調査 報告書」について、PDN顧問である比企能樹先生、曽和融生先生、鈴木博昭先生にご意見をいただきました。
なお、この記事はPDN通信36号第2面に掲載されている記事の全文になります。
目次
■「Will(意志・遺言)は、この問題解決の決め手か?」 鈴木博昭
胃ろう造設の真の適応
北里大学名誉教授
PEG・在宅医療研究会 初代会長
比企能樹
思えば1997年に第1回の当研究会(PEG・在宅医療(HEQ)研究会)を曽和融生、鈴木博昭先生と3人で立ち上げて以来、13年も経った。このたび平成23年3月『認知症患者に対する胃ろうガイドライン作成のための報告書』を手にして、その年月の重みを感じる。そこには1,353人の症例のフォローを詳細に行ったことが実に意義深い。この報告書を読んでも、かねてより考えていた基礎疾患の有無や個々の患者さんの症状・環境などによって、胃ろうを造設するか否かの主治医の判断は益々難しいと思った。
私の長年の友人が、自宅で認知症の90歳の母上を家族あげて介護している。ところが急に衰弱されたのを心配し、近くの病院に一旦入院をした。ご本人はかねてから糖尿の既往があり、この病院に通院していたが、主治医は早速、胃ろう造設を施行したところ、生活の質の改善が顕著にみられ、直ちに退院でき認知の程度も軽減されたと報告があった。この家族の場合、おばあちゃんに一日でも長く生きてもらいたいと願っていたので、家族は大変に喜びこの処置をうれしく感謝された。しかし間もなく、胃ろう造設により栄養過多となって糖尿病が悪化し、再入院となった。家族は栄養が入った、太ったと喜んだが、合併症のある人は特に注意・観察を怠ってはならないという教訓である。
昨今、社会的な問題となっているのは、高齢者の介護である。徒らに生命予後はよくても、自立度、認知の程度によって介護する側もされる側にも、満足される医療は益々難しくなっている。胃ろう造設の場合にも、その判断は一大難問であるが、要するにここでも問われるのは、胃ろう造設あるいは抜去するに当っての判断は、Dr.&Patient relationshipであろう。そして出来得るならば、個々が判断意識がしっかりしている間に、自分の生命予後を表明しておく必要があり、医療の進歩と共にそういう時代を迎えた。一方医師は、ますます専門分野が細分化する医療に近視眼にならず、患者さんの部分的状況を診るだけでなく、全身を診なければならない。
PEG医療への提言 ―胃瘻造設に関する全国アンケート調査研究報告から-
大阪市立大学名誉教授
大阪掖済会病院 特別顧問
PEG・在宅医療研究会 前会長
曽和融生
最近、看取りや人の死を取り上げた新聞、雑誌などメディアからのニュースが増えている。それだけ高齢者社会とともに関心が高まっている証拠であろう。とくに高齢者の脳血管、変性疾患、さらに認知症などで口から食べられなくなった場合に胃ろうを造設する例が多い。正確なデータはないが全国で約40万人の胃ろう患者がいるといわれている。その多くは要介護の高齢者である。特に摂食障害を伴う誤嚥性肺炎予防ならびに栄養補給のために経鼻栄養からPEG術式の安全簡便性の普及と啓蒙により、PEGの有用性と共に繁用されるに至っている、このような現状から誰でも容易に安全に行われ、ややもするとPEGの適応の拡大の傾向にも流れる機運を垣間見ることもある。
平成8年(1996)に発足したHEQ研究会(現PEG・在宅医療(HEQ)研究会)においても会を重ねるとともに、PEGの適応について討議が行われてきた。特に第11回の研究会(当番世話人 小原勝敏教授)では「適応拡大とコメディカルの役割」と題するワークショップが企画され、PEGの有用性と問題点について討議された。その中で明確な患者本人の意思決定のない場合もみられるなど、その決定には慎重でなければならないことも指摘された。
一方欧米では認知症患者に対してPEGの適応が疑問視され、重度認知症患者への適応は予後の改善につながらないとする報告が多い。本邦での胃瘻造設後の大規模予後調査報告は少なく、平成17年(2005年)「胃瘻に関する全国調査」-胃瘻と栄養についてのアンケート-[1]がNPO法人PDNとPEG・在宅医療研究会に共同で行われたのが最初である。当時の胃瘻全般の現状についての実態が明らかにされた。一方、保健医療についての問題点が指摘され、当時としては貴重な全国調査の報告であった。
これに次いで、平成18年長寿科学振興財団が「胃ろうの造設とその管理についての実態調査報告」[2]を行っており、特に当アンケートでは患者家族の造設への満足度とIC(インフォームドコンセント)時の説明の食い違い(経口摂取可能率)、栄養管理、QOL向上に対する不満などが調査結果で明らかにされている。また「患者尊厳」についての説明がなされている症例は30%以下であり、術前のICの内容についても改善の必要性が指摘された。
このようなことから、医師、家族、看護師、介護士等を交えた十分な話し合いによる本人、家族の判断が重要で「リビング・ウィル」を確認できるシステムが必要であろう。
従って、胃ろう造設の適応については医学的側面だけではなく、倫理的、社会経済的側面も鑑み、検討が必要である。特に重度認知症例やPEG患者の終末期になったときなどの適応は、尊厳死、安楽死の問題にも配慮した、正しい造設のガイドラインの設定は重要である。
かかるところから、平成21(2009)年、「高齢者医療および終末期医療における適切な胃ろう造設のためのガイドライン策定に向けた調査研究」[3]が行われ、NPO法人PDNから報告されている。その内容は既にPDN通信第33号に丸山道生氏から紹介されているので、詳細は割愛するが、本邦でのPEG施行された高齢者の予後が良好で、またその予後因子の詳細についても解析されている。これらの成績は従来からの欧米での報告に比べ、本邦でのPEGの有用性を明らかにされた。また、欧米では終末期患者の予後が、認知症患者で特に不良であることから、平成23年PDNから「認知症患者の胃瘻ガイドラインの作成」のための調査研究事業報告書[4]が発刊された。53施設1,353人の認知症胃瘻患者についての報告であるが、生命予後の改善に胃ろう造設が寄与すること、この改善に肺炎罹患の予防であったことなどを明らかにされた。また生活自立度の改善が、認知症の早期造設例に改善度が高く、経口摂取機能改善度も高いことが示された。従って認知症患者の予後も良好で、対象症例の半数が2年以上の生存が得られたとしている。
以上の結果から、本邦での認知症に対するPEGの有用性は欧米の報告と比べ、生命予後は著しく良好であることが今回の調査で検証された。この成績は認知症患者への胃ろうの適応ガイドライン作成のための一資料になると考えられる。即ち人種も死生観も異なる欧米からの報告に頼らざるを得なかった実情に対して、本邦での一つのマイルストーンが提供されたと考えられる。欧米での成績と異なる理由については、PEG造設適応基準の差によるものか、長期管理技術の差によるものか、或いは倫理的社会的背景によるものか、考えさせられるところでもある。
一方、近年の医療はICがとれないと検査も治療も出来ない医療状況の中で、自己決定権を持たないPEG対象の多くの患者に対してPEGの適応を決めることが困難である。21世紀の医学医療の進歩は目覚ましく、呼吸管理、感染対策、人工透析等、種々の延命治療が発達している。しかしながら、治る見込みのない終末期患者が、自己決定権のないままに、安らかな自然死への希望も無視され、延命治療を強いられる状況が生じている場合もみられる。
近年、死の過程を選ぶ権利を与えて欲しいという事で、尊厳死協会の概念が注目されている。すでに日本尊厳死協会が設立され「リビング・ウィル」(尊厳死の宣言書)を策定されている。米国では既に法制化されているが、日本では未だされておらず話題になっている[5]。
ひと個人個人の死生観は異なり、最近欧米では「事前指示書」が注目され、患者が胃ろうに関する意思決定を自分で出来ない状況になった場合に行使され、作成した意思の内容を文章化しておくことによって、終末期に侵襲的治療か、限定的治療、緩和ケアの何れを施行するかを第三者に決めてもらうことになる事前指示書の重要性を示唆している。いずれにしてもPEGの適応の決定には何らかの患者のメッセージが必要である。個人の最期をどう迎えるのか、その希望を書き留めておくことは重要であろう。
生命を守るのが、第一義的でることは論を待たないが、一方、安らかな死を看取る事も医師の重要な仕事である。
考えてみると、医学教育の中で自然死、安らかな死についての教育が、生かすことに関する教育ほどなされておらず、死にゆく人に対処する看取り術の教育は十分でなかったのではと考えられる。このようなことから、PEGの適応決定にはかかる見地からの検討も必要であり、その為には欧米で行われている「事前指示書」の普及により患者の意思を明記しておくことも、PEG適応決定に役立つのであると思われる。適切な終末期医療と共に造設後の長期管理を行うため、PEG造設医と管理業務を担当するコメディカル側合同のPEG医療チームの構築が必要であり、患者家族の理解と協力の下、適切な適応を策定せねばならない。
かかる意味から、現在まで行われてきた胃ろうに関するアンケート調査研究の成果は極めて有用な内容であり、本邦でのPEGの実情が把握出来、その適応の決定ならびに患者の満足する終末期医療の充実につながるものと考えられる。
高齢者社会における終末期医療については、実践する医療従事者は無論のこと、同時に医療を行う上の法的整備と患者家族の理解と協力が大切である。また終末期医療を支えるPEGの重要性は、今回のアンケート調査研究の回顧でも明らかであるが、PEGを単なるツールとしてとらえるのではなく、PEGを取り巻く一つの医療を包括的に「PEG医療」と位置づけ、今後の新しい医療体系として充実させ、「PEG医療」をコーディネート出来る人材の育成が必要である。昨年度より「PEG・在宅医療 (HEQ)研究会」においてPEG取扱者、施設認定制度が、さらに倫理委員会が発足した。ここで育成された人材が中心となり、またNPO法人PDNの強力な支援を得ながら、今後 PEG医療の発展に期待したい。(H23/5/18)
参考文献
1)胃瘻に関する全国調査-胃瘻と栄養についてのアンケート調査結果.2005(平成17)年12月,NPO法人PDN・HEQ研究会発行
2)胃ろうの造設とその管理についての実態調査(平成18年度厚生労働省老人保健健康増進等事業報告書概要版).2007(平成19)年3月,財団法人長寿科学振興財団東京事務所発行
3)高齢者医療及び終末期医療における適切な胃ろう造設のためのガイドライン策定に向けた調査研究事業報告書.2010(平成22)年3月,NPO法人PDN発行
4)認知症患者の胃ろうガイドラインの作成-原疾患、重症度別の適応・不適応、見直し、中止に関する調査研究事業報告書.2011(平成23)年3月,NPO法人PDN発行
5)尊厳死問題の根幹を問う─法制化はなぜ必要か─.大田満夫編 2011(平成23)年3月,NPO法人CIMネット発行
Will(意志・遺言)は、この問題解決の決め手か? -認知症患者の胃瘻に関するPDN調査研究報告書を読んで-
東京慈恵会医科大学 客員教授
PEG・在宅医療研究会 現会長
鈴木博昭
I 日本人の生き方、死に方思考の変遷
従来は終末期患者の管理は、全面的に医師の手に委ねられていたが、インフォームドコンセント(IC)が登場してからは、患者側に死に方を選ぶ権利が認められるようになり、これからは安楽死や尊厳死を選ぶ患者が多くなってくると思われる。今後は延命治療を拒否する患者の増加が見込まれる。この問題に対して医療機関では患者の希望に対応出来るような医療体制を準備しておかなければならない[1]。我々は医師側と患者側の関係が、従来のパターナリズム(父権主義)から大きく様変わりした現実を、まず直視するべきである。
私は戦前(1936年)の生まれで、明治18年生まれの祖父が横須賀市で内科、小児科を開業していた家で育った。幕末の蘭方医や明治の洋方医はパターナリズムの職業倫理に徹しており、終末期の患者の場合でも、本人に死が近いことは知らせず、延命に努めることが医者の責務であるとし、患者側もその在り方を受け入れていた。祖父は、往診を頼まれればすぐに自転車(昔は馬であったという)に乗って往診に出掛け、薬が必要な場合には後ろの台に家族を乗せて帰宅する祖父の姿をよく見た。自宅の庭には相撲の土俵を作り、近所の患者家族の子供立ちに相撲を取らせ、勝者には鉛筆やノートなどの景品を与えていた。祖父は、市議会議員や町の福祉委員も兼任していたので、金銭的に困った人たちの相談や申請書提出の手伝いなどで、毎日忙しくしていた。祖父の考え方の基盤には、やはりパターナリズムがあったのではないかと思う。祖父が他界した年(1954年)に私は医学部に入り、1961年医師免許証を戴いた。1960年代後半に、米国では公民権運動が盛んになり、消費者運動が医療システムにも影響を及ぼし、「医療はサービスで、購入するもの」という考えを持つ患者が増加した。彼等は消費者として患者の権利が尊重されるべきと主張し、やがてこの思想は日本へも伝達され、我が国の医療環境は1980年代を境にして大きく変化した。具体的には、患者は医師との間にICを求める動きとなって現れた。私の現役時代(とくに1990年代)は、医療事故や医療紛争を防止するために、リスクマネジメントの在り方を真剣に議論した時代であった。
法律家の観点から見れば、「診療行為」は診療契約上の債務の履行である[2]。債務と言っても診療する医師たちにとって救われるのは、一般の売買契約や請負契約とは異なり「結果債務」ではないという点である。病気に対する治療の手段として適切な医療行為を行うという「手段債務」であり、適切な診療が行われれば、望ましい結果が得られなくても、法律上の責任がないという契約である。しかし、「適切な診療であったか否か」は、時に医療紛争の争点となる。
高椋正俊氏(東筑病院消化器内科部長)は、Medical Tribune 2011年3月17日号の「時間の風景」(エッセイ)の中で、人生の引き際に関して、示唆に富む考え方を述べている。引き際には前編と後編があり、前編は医療業務からの引き際で、盛業中に自分の身の程を知って、信頼できる後輩にタイミング良くバトンタッチをすることであり、後編は死に際だという。高椋氏は、一度は死に直面した経験から、悪性疾患に罹って痛みがあれば緩和ケア病棟で過ごす、また、脳血管障害や認知症になって経口摂取ができなくなった時は、延命のためのPEGは勘弁してもらう予定であると、この誌面で自らの意志を述べている。
日本尊厳死協会に入会しているため、「経管栄養は行わない」という意志はあるが、主治医がこういう場面において何らかの経管栄養を計画しなければ刑法に触れるという意見もあり、自分のWillを聞き入れてくれないのではないかという不安も残っているという。彼の人生の最後の引き際は、静かに逝かせてくれる「平穏死」であるというが、日本の病院では、患者の希望に十分に対応出来るような体制は必ずしも整っていないという。
「死の判定」に関しても従来の「心臓死」とは別に脳の機能が不可逆的に喪失状態になる「脳死」というもう一つの死の概念が生まれた。脳死状態のドナーから臓器を摘出してレシピエントに移植すれば生着率が高く、移植成功の確率が高いことから、近年、臓器移植法案が国会を通過し、脳死容認の臓器移植については国民の間に一定の合意が定着しつつある。我々は、健康で正常な判断ができるうちに、延命治療拒否や臓器提供について、その意志があるか否かを書面で残しておくべきであろう。
II PDN調査研究報告書の評価
NPO法人PDN(理事長・鈴木裕)は、認知症患者の胃瘻ガイドラインを作成することを目的に、認知症患者における胃瘻造設は、どういう原疾患でどういう重症度の場合に適応あるいは不適応なのか、また胃瘻栄養はどの時期に見直しが必要か、またどのタイミングで中止するのかなどに関して、全国50施設を対象に調査を行い、この度その調査研究結果を報告した。
その結果、胃瘻造設は、
1)生命予後を改善した。日本人の場合には胃瘻造設後、半数以上の症例が2年以上生存し、生命予後の改善度は、海外の文献に比べて良好であった。
2)生活の質(生活自立度)は8.5%の症例で改善が認められ、胃瘻造設時に生活自立度がII(良い)の症例はIII・IV(悪い)症例に比べて改善度が高い(2.5% vs 8.6%)。
3)経口摂取に関しても18.4%の症例に改善が見られ、胃瘻造設時の生活自立度IIの場合の改善度は35%であり、III・IVの場合の改善度(17%)に比べて高かった。
4)肺炎の改善は71.7%の症例に見られ、胃瘻造設時の生活自立度がIIでもIII・IVの症例でも、改善度は各々67%、35%と良好で、認知症が進行した症例でも胃瘻造設による肺炎の改善効果は期待できる。
という結果である。
胃瘻造設後の生活の質改善に関する調査研究は世界にほとんど無く、今回の調査で胃瘻造設が生命予後の改善効果だけではなく、生活自立度や経口摂取機能など、生活の質改善という、いわゆるリハビリ効果が認められるというエビデンスを得たことの意義は、極めて大きい。さらに、致命的な症状である肺炎に関しては、胃瘻造設時に生活自立度が高度に障害されている場合でも、高率(70%以上の症例)に改善効果を認めたという結果は、貴重なデータであり、高く評価したい。
本調査研究を実施したNPO法PDNのスタッフと、調査に協力した50施設の医師達に、心より感謝申し上げたい。今回得られたエビデンスは、PEGの適応、とくに認知症患者に対してPEG・在宅医療 (HEQ)研究会が臨床研究を進める上で、重要な根拠になると思われる。
残された問題は、今回調査の表題にもあるように、胃瘻栄養の見直しや中止のタイミングを見極める判定基準を模索することであろう。この問題は、医学的なデータのみで判断するのは難しく、ICを含む法の解釈や、国民性や宗教の因子、家族への教育など、今後幅広い観点から議論しコンセンサスを見出してほしい。
昨年秋のDDW第80回日本消化器内視鏡学会総会(会長:一瀬雅夫)の招待講演「Gastrointestinal Endoscopy Training ,USA and Japan(C.Sugawa prof.Department of Surgery Wayne State University Detroit USA)」で、私はその司会をさせていただいた。講演後の雑談時に prof. Sugawa(東大医学部卒業後、数年してデトロイトへ留学し、消化器外科医・内視鏡医として40年間余り米国で勤務している)にPEGの適応と胃瘻造設後の生存期間に関して、日米間で大きな違いがある理由は何だろうと質問してみた。
彼の答えは、米国には終末期患者に対してナーシングホームを中心とした万全の介護システムがあること、また米国民の大多数がLiving Will(遺言書)を持っているので、延命治療を継続するか否かに関して、あまり迷わずに医療機関が判断出来るという事であった。米国人がWillを重視して受け入れている理由としては、①宗教(キリスト教)を背景とした自由意志の思想 ②多種民族により構成された合衆国であること ③保険会社が主導する特異な医療保険制度であることなど、複雑な因子が絡んでいると思われる。
III 身近な経験から学ぶLiving WillとICの相関関係
私は昭和23年に、第二次世界大戦で破壊され廃墟となった日本海軍の施設跡(横須賀市田浦)に、新しく創立されたカトリックイエズス会の栄光学園[3]中学校に、第二期生として入学した。私達生徒は瓦礫の山の校庭で、木材や大きな石を拾って片付けるのが毎朝の日課であり、その後教室へ戻って授業を受けた。先生の多くは若いカトリックの神父様でドイツ人が多かったが、先生達は廃墟に戦後復興のため殿堂を作ろうと、新しい教育の場を開拓することに熱く燃えていた。
私が覚えている学校の教育方針は、まず「礼儀」と「愛」(man for others:自分のことで頭の中を一杯にせず、周囲の人達を明るく幸福にするように心を砕き、思いやりの心を持つこと)を基本とし、次に考え方としては「理性」「良心」と「自由意志」(よく脳で考えた上で良心に従って自分の意志を決め、その意志に則って行動すること)であると教わった。私はこの中学校で習った自由意志こそ、本文の中で問題にしているWill(意志、(法)遺言)に通ずるものではないかと思う。Willとは終末期の遺言だけのものではなく、人生(五木寛之のいう学生期や定住期、林住期、遊住期)のすべての時期に、自分がどう生きたいのか、高椋氏のいう引き際の前編、すなわち定年退職後にどう生活したいのか、引き際の後編(終末期)には何を望むのかなどの意志表示であり、特に林住期以後の時期には、私は家族や友人達が困らないように、自分の意志を書き残しておくことが必要であると思っている。
一方で、最近私はWillだけでは終末期医療の選択法を解決できそうもない症例に遭遇した。症例は私の古くからの患者で84歳男性、かつ私には恩師に当たる病理学のドクター(東京慈恵会医科大学前教授)である。今年の2月頃、風邪から肺炎、嚥下障害、意識障害と併発して地域の病院に入院したが、入院後は増悪の一途を辿り、母校の慈恵医大病院に転医入院したいと家族から電話があった。転医入院時は高熱(敗血症疑)、呼吸困難、意識混濁、嚥下不能などの重症で、救命さえ困難、元通りに回復することは絶望的かと思ったほどであった。しかし本人は、予めWillの用意はしていなかった。早速、救命のために母校の後輩医達による積極的な治療や、看護師達の手厚い看護とリハビリの介護が開始された。娘(家族)は医師達の一連の医療姿勢を見て、父への集中的な治療を受け入れることを納得したという。本例ではPEGは適用されなかったが、私がお見舞いに行く度に回復の兆候が現れ、先日お見舞いに行ったときには、車椅子に乗ってトイレに行き、便器に座って自然排便ができ、そして食欲も出てきたという。生活自立度は、ほぼ完全に回復した。5月末には退院して自宅療養の予定である。
入院時、本人は意識朦朧で、診療手段の選択について自分の希望を言えるような状態ではなかったという。結果的には娘(家族)が病院と医師を信頼し、ICを納得した上で治療が行われた訳である。主治医のパターナリズムへの信頼と、家族とのICだけで、治療が開始継続され、この例のように元通りに回復する症例がある限り、「Living Will(遺言書)が終末期医療選択の鍵である」なんて簡単には言えない。
認知症患者におけるPEGの適応、胃瘻栄養の見直しと中止に関する課題は、本年9月10日、岐阜で開催される第16回PEG・在宅医療(HEQ)研究会(会長:加藤隆弘)の会長特別企画「PEG・在宅医療の歩みと将来展望」(司会:鈴木博昭・西脇伸二)においても、討議の主要テーマになるであろう。演者達の意見を聞いて、コンセンサスに向けて一定の方向性を見出したいと考えている。
参考文献
1)米本 仁:死に方節考(上).日本維持新報 4625:94~99.2011
2)藤本裕司:法律家からみた理想の医師像 説明義務の話題を中心に.日本臨床内科会会誌 20:547-552,2006
3)山本洋三:栄光学園物語 かまくら春秋社.鎌倉.2004