今回紹介する医療法人尚寿会大生病院は、同系列のあさひ病院とともに、重症な認知症患者さんの治療とケアにあたっている病院です。周辺地域のみならず、各地から患者さんが通院・入院されている同院は、開院当初より一貫して「よりよい高齢者医療」を理念に掲げています。
高齢者医療の中では「食べる」ということが非常に大切な要素であるとの認識から、「質の高い医療の提供の中で歯科の充実は必要不可欠」と、開設理念の実現のためには歯科の充実が位置づけられています。
平成4年に阪口英夫先生が赴任されてから、同院での高齢者の口腔ケアが本格的に始まりました。
入院患者さんの口臭をきっかけに、口の中を清潔・健康に保つことの重要性を思い知らされた阪口先生の、口腔ケアに対する思いと取り組みをお聞きしました。
Ⅲ摂食・嚥下機能向上のための取り組み
2.歯科の充実は、
質の高い医療の提供に不可欠
医療法人尚寿会大生病院 歯科口腔外科 阪口英夫
(所属・役職等は発行当時のものです)
PDN通信 22号 (2008年1月発行) より
(所属・役職等は発行当時のものです)
社会的入院から質の高い高齢者医療の提供へ
医療法人尚寿会大生病院は、昭和54年、介護保険制度もなく「社会的入院」が取りざたされていた時期に開設された。
回復期病棟、医療保険および介護保険の療養病床、認知症患者を中心とした精神病棟、合計505床の、主に重症の認知症患者が多く入院している病院である。関連施設であるあさひ病院は300床全てが精神病棟、さらに2008年4月には100床の老健施設がオープン予定で、合計905床の大規模な医療機関となる。
「私が赴任してきた平成4年当時、経管栄養といえば経鼻栄養か点滴で、口を使わないで栄養補給されている方の口腔ケアはまったくなされていない状況でした。
当時、歯科医の私と歯科衛生士の二人で歯科診療を担っていましたが、高齢者の口の中は大変汚れていて、いわゆる通常の歯科治療すら出来るような状態ではありませんでした。
20年前の歯科教育の中には、口腔ケアや摂食嚥下訓練の項目はまったくなく、口の中をきれいにするという認識も、その方法もわかりませんでした。歯科医がこの状態ですから、まして看護・介護スタッフにはわかろうはずもありません。
経管栄養の方は口から食べていないので、ケアをやる必要はない、というのが当時の常識でした。
あるとき、口臭がひどいので見てほしい、という依頼が病棟からあり、私たちが見に行くと、歯磨きすらされていない状態でした。口から食べていないから歯磨きは必要ない、という認識だったので、我々2名の歯科スタッフとしては、どういうアプローチをすれば口腔ケアの必要性をわかってもらえるのかと、ずいぶん考えたものです」。そう阪口先生は当時を振り返る。
病院内でもスタッフの口腔ケアの重要性に対する理解は乏しく、「口腔ケアをするためのマンパワーが確保できない」「歯科の病気を治療するために病院は歯科を設けて先生を雇っているのだ」といわれる始末。
きちんと歯磨きをしていても、虫歯になる人はいる。しかし、そういう人の治療をするのとは訳が違い、治療するには手遅れの状況だったり、治療後また放置され悪化してしまったり。虫歯がないのに食事を食べる口の環境が整っていない、悲惨な状態の口の方もいたそうだ。 他院の医師・歯科医師たちと情報交換を行い、試行錯誤しながらの15年。院内のみならず、対外的にも口腔ケアの重要性を発信し続けてきた成果が、やっと今、現れてきたという。
院内での取り組みのバックグラウンド
平成18年に介護保険法が改定され、介護予防が謳われる時代になり、食べることへの認識、食べることのできる口作りが、取り上げられるようになった。同時に口腔ケアの必要性が謳われ、摂食・嚥下リハビリテーションも普及してきた。他院から転院してきて「継続して嚥下リハビリを受けたい」「前の病院ではやってくれていたが、ここではやってくれないのか」という希望も多くなり、どの病院も摂食・嚥下と口腔機能向上の取り組みをするようになってきた。
その背景として、平成18年4月、医療保険では栄養ケアマネジメント(NCM)が提唱され、介護保険では経口摂取移行加算の導入が始まった。
「当院も介護保険適用のベッドがあるので、栄養管理加算や経口移行加算を積極的に取り入れることが、病院経営的にも要求されるようになりました。そういう経営的な側面からではありますが、胃瘻になったとしても、その中で経口摂取を進めていく努力をしていくべきだ、という取り組みが開始され、専門スタッフや機械、直接訓練用食品の購入など、摂食・嚥下領域へも力も注ぐようになって来ました。
歯科単独で考えれば採算は取れていませんが、加算の獲得や病院の理念としての「質の高い高齢者医療の提供」という立場から考えると、口腔ケアの充実の意味は大きいといえますし、だからこそ、ここまで歯科の活動が展開してこられたのだと思います」。
そう語る阪口先生を筆頭に、現在では常勤の医師4名、非常勤7名、歯科衛生士6名、歯科専属事務職が2名、総勢19名の大所帯になった歯科。「治療するために先生を雇っている」といわれた時代から見れば、天地の差である。
胃瘻のメリットを活かして摂食・嚥下リハビリを進める
高齢者の多い医療施設では、加齢や疾患による機能低下によって、口から必要栄養量すべてを摂るのは無理なことが多くなってくる。そういう人たちに、口腔や鼻腔からチューブを入れたまま嚥下訓練をしなさいといっても、それは大変なことだ。
急性期を乗り越えるための、一時的な経管栄養であれば、回復に向けて頑張れるだろうが、高齢になるにつれ、訓練を一生懸命やって食べられるようになろうというより、自分の頑張れる範囲でちょっと好物を味わえればそれでいいという考えの方も多いそうだ。そこへ経管栄養投与ルートの一つとして胃瘻が登場するようになり、病院や施設としても無理せずケアや訓練が行なえるようになったであろうことは想像に難くない。
「従来は経管栄養の患者さんといえば、口腔が汚れているもの、というイメージがありましたが、胃瘻の方の場合は、口腔をきれいに保つ環境を作りやすいと言えます。直接訓練もチューブが喉にないため行いやすくなりましたし、胃瘻になってよかったなあ、という思いが我々にもあります。栄養を胃瘻から確保できるので、安心して口から食べる訓練をできますから、最終的には胃瘻にして良かったという人は多いと思います」と阪口先生は言う。
口腔ケアにも介護にも適正な評価を
現在、口腔ケアは医療保険点数に反映されていない。嚥下訓練は経口移行加算で算定されるが、口腔ケアにはつけられていない。 阪口先生らが、療養型病棟を持つ病院を対象に行なった調査では、歯科が開設されていない病院でも、歯科衛生士を配置して、口腔ケアや嚥下訓練を行なっているところが増えているそうだ。舌・頬・口唇・顎などの口腔の運動機能を高めるための機能的口腔ケアと、歯・歯茎・頬の粘膜・舌などの清掃を中心に行なう器質的口腔ケア、どちらも個別の状況に応じて必要な専門的なケアを含んでおり、まさに歯科に寄せられる現場のニーズの一つであるといえよう。
「歯科でしかできない専門的な口腔ケア、そういう部分を我々は担っていきたいと思います。それも出来て、従来の口腔外科領域の仕事も出来てこそ、歯科医に対するニーズに応えられるのではないかと。
ですから、今後そういう現場でのニーズが高まっていくにつれて、いつの日にか必ず、口腔ケアにも評価を与えるという動きは出てくると思います。口腔ケアを行なう事は、国民の健康に寄与するのですから。
また、「医療は介護によって支えられているところが大変大きい」いうことにも、気づくべきでしょう。どんなに良い医療を行なっても、それを継続する介護環境が整わなければ、一切その医療は役に立ちません。
たとえば『入れ歯を入れたら、ご飯を食べられるようになりますか』と言われたとき、患者さんの状態と同時に、周りの介護力も判断材料とします。重症の認知症状を含め、病気の進行によって診療を拒否するような行為をしてしまう方は、治療そのものを拒否されるので、入れ歯どころではありません。ところが、そういう病状に進行してしまった患者さんの中のお一人は、奥様が実に献身的に介護され、ご主人も奥様の言うことには従ってくれますので、入れ歯を作ることができました。入れ歯の手入れも奥様が丁寧にやって下さり、口腔内の環境も良く、入れ歯を使って、また口から食べることができるようになりました。
これは、胃瘻も一緒だと思います。きちんと介護者が管理できなければ、“いい胃瘻”ではなく“悪い胃瘻”になってしまうかもしれません。また、この介護というのは、ご家族に限ったことではなく、ご家族が長期介護でお疲れになって、最終的に施設入所を考えたとき、万全の体制で喜んで預かって介護を提供してくれる施設があれば、ご家族もご本人も笑顔で『胃瘻にして良かったね』と思えるわけです。胃瘻も口腔ケアも、取り巻く環境が整っていないと、そのメリットが活かせないということですね」。
診察時間が過ぎても、何度も問い合わせが来る中、阪口先生のお話にも熱がこもる。職務行為や職種による上下や優劣をつけることなく、互いに認め合い補い合うことで、さらに質の高い医療提供の基盤が作られていくのではないだろうか。
【ワンポイント・アドバイス】口腔ケアは、保湿用ジェルに始まり保湿用ジェルで終わる
写真1はカンジダ菌が広がって白苔(はくたい)だらけになっている舌の様子です。経口摂取の刺激がないので唾液が出ない、加えて重症の患者さんや誤嚥性肺炎を繰り返しているような方は、口からも息をするので、さらに口腔が乾燥して、汚れも固まりがちです。
口腔内が乾燥している方のケアを行なう際、乾燥しきった粘膜を無理にこすると傷をつけてしまいます。レモン水の酸味の刺激や、人工唾液の噴霧などで乾燥予防をしてみましたが、その場限りでなかなか継続的に乾燥を防ぐ方法がありませんでした。
そこで、ケアの前に乾燥した硬い部分を柔らかくするために、保湿ジェルを試したところ、非常に具合が良いのです。
口腔内の保湿のためのジェルは、いくつか市販されていますが、当院ではオーラルアクアジェルという製品を使用しています。スポンジブラシなどにこのジェルをつけて、唇や歯茎、上顎、頬の内側、舌などに、優しく塗って粘膜を柔らかくしてから、通常の口腔ケアに入ります(写真2)。
口腔乾燥を予防する、という仕上げでの使用だけではなく、口腔の清潔を保つために、乾燥して硬くなった汚れを除去する際にも、保湿ジェルが役に立つ事を、この機会にみなさんにお知らせしたいと思います。(阪口英夫)