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Revital(甦り)!「PEG」が私の命をつないでくれた


●慈恵医大にしますか!国立ガンセンターにしますか! …この一声から始まる

原因:数年前某会社勤務先で、冷蔵庫に保管中の劇物入り栄養ドリンクを一口誤飲した。入院先の東京女子医科大病院では何事もなく退院した。その後先生の指示を守らず通院を怠った為、腫瘍発症に気付くのが遅く手術という最悪の事態を迎えることとなる。

入院:“東京慈恵医大付属病院/外科/7E病棟”
病名:“食道腫瘍全摘出手術”
期間:H7年2月14日入院、5月13日退院、以後5年間13回術後、障害で入退院を繰り返す。
目標:“社会復帰を果たす“(自分を取り戻したい)
願い:“自立”(自分のことは自分でする)。
目的:“満足に食事も取れないで苦しむ同病の患者並びに医療関係者に一石を投じたい”
現状:“医療技術の向上で手術の成功率は高いが、退院後の在宅医療は置き去り状態“
現場:先生方も看護婦さんも“怒涛のように押し寄せる”患者の対応に疲れ切っている。

●入院中病院での具体的取り組み

-責任の半分は自分にあると念って-
当初から“傷の痛み”と“心の痛み”を別物なんだと自分に言い聞かせて取り組んだ。看護婦さんや家族や友人の“助けを借りず”に“自分で出来ること”は自分で処理した。臨床実験には積極的に協力し、かつ、情報が有れば自分の方から臨床実験を申入れした。

“先生と看護婦”と“自分”と「正確な情報交換」し“病気と正面から向かい合った”。体力回復・気力回復・栄養管理・体調日誌を“歩く”“食べる”“工夫”“記録”をした。

●退院後自宅での具体的な取り組み
“自立するんだと自分に言い聞かせて”。“娑婆”では“主治医”“看護婦”“主婦業”“会社員”“僧侶”1人5役“に挑戦した。会社通勤するのも、買い物するのも、通院するのも“リハビリの一環”とし取り組んだ。
“七転八起”転んでも、倒れても、歩けなくても、声が出なくても“諦めず前に進んだ”。
腸瘻点滴“ツインライン”は、19時~23時・23時~3時の間に800キロカロリーを投与した。
「腸瘻点滴用具一式」「PEG器具一式」「挿入口周り」を常時清潔にする事を心がけた。

●体重40kg程度だったものが、1年半後には54kgまで回復
体重が回復すると、気分がすっきりし元の自分の明るさを取り戻し“気力”も出てきた。気力が回復すると、“身体が軽くなり”自然に動きまわれるようになり範囲が拡大した。

身体が回復すると:
自信らしきものがついてきた。夢から願いへと希望が沸いてきた。

自信が回復すると:
何事にも長時間でも“集中”出来るようになった

集中力が回復すると:
“社会復帰して職場へ復帰”へと現実のものになった

明暗:
医療の世界は人生の縮図、天国と地獄が同居して、闇の部分が光となって現れた


感謝:
“病気が病気を教えてくれた”“絶対絶命の状況が智慧を引き出してくれた”

反省:
“シンプルが一番”“あれやこれやと試行錯誤して考えても迷子になるだけ”

総括:
“患者の頑張る姿が先生や看護婦さんにエネルギーを与えたようであった”また、“エネルギーを貰った先生や看護婦さんから私は癒しを頂いたようであった”

食道全摘出
PEG(十二指腸瘻)歴:3年6ヶ月
筆者:西宮 宗春(58歳)