飛田洋さん

なにくそ!俺はここにいる152

京都府 飛田洋さん(71歳)

飛田洋さんは、平成10年11月に脳梗塞を発症しました。

完全四肢麻痺、構音障害、嚥下障害を認め、入院中に胃ろう造設術、気管切開術が施行されました。平成12年6月に在宅へ移行され、かすかに動くようになった指先でパソコンを操り、創作活動を続けています。

毎日書きためたものは、月刊誌としてまとめられ、製本されています。

【雑文暴論】⇒自分尺度

 今の若い者は、と良く聞く台詞で年寄りの専売特許でも
ある。一日十時間前後はTVの世話になり、色んな角度の
情報番組から世の中の新しい知識や雑学を得ている。

 どうかすると文句、愚痴、小言、意見にしたいことが、
良くある。幸か不幸か声を発っせられないので、苦々しい
思いはしても言葉を飲み込んでいるので波紋を起さない。

 多分、自分の人生経験から来る色メガネで見ているか、
ものごとを自分尺度の考えかも知れない。

 ちなみに、あきらかに尊敬すべき方にもアナウンサーや
レポーターの、来ます見ます、しますのコメントが耳障り
なのは日本語教育の違いかな?

【俺流・文句と違う・ぶんくやで】

※ 人生一度 願いたいけど 二度はない

※ 不作法を 口に出せずに にらみつけ

※ 思い出す お八つ代りの 煮干しらを

※ 惚け以下 総理してたは にがにがし

※ 若さゆえ 身丈知らずの 荷を背負い

※ にが虫を 潰した顔より にこやかさ

※ 三タテは 開幕ゲームに 似合わない

※ ゆで玉子 京にありては にぬきかな

さあ、春ですね。今月も作品を宜しくお願いします。

いつもの事ですが、皆様のご健康をお祈り申し上げます。

平成27年4月1日(水曜日)

飛田 洋

<< 老いの一徹 >>

<< ストーカー >>

二行きめる
『一』
呼んで暫らく
 来ぬと薄らぐ  ありがたみ
熱いあいだに
 鉄は打てよと  聞かされた
かぬ仕事は
 牛にまかせて  おけば良い

『二』
プラス思考は
 前を向かせる  その気さす
熱いうどんは
 時間かけねば  食われない
余裕かまさず
 結果出るまで  気を抜くな

『三』
捨て目捨て耳
 耐えず注意だ  きくばりだ
熱いトウフは
 慌てものには  似合わない
後のまつりと
 悔しがるのが  ほとんどだ

二行きめる
『一』
過去の事だが  過去の日だ
 百代ももよがよいと  押しの手で
 俺は現代いまなら  ストーカー
真面目一途な  青春だから
 恋の背伸びが  出来なくて
 爪を噛んだり  もがいたり

『二』
過去の事だが  おもいきり
 百代がよいを  真似ていた
 俺はいわゆる  ストーカー
初心うぶで通した  十代だから
 恋にあこがれ  抱いてたが
 バスを見送る  くりかえし

『三』
過去の事だが  だからして
 百代がよいの  甲斐なのか
 俺は言うなら  ストーカー
うまい時代に  人生過ぎた
 恋のとまどい  ためらいで
 愛をそれなり  手にしたよ


<< 悪しからず >>

<< バースデイ >>

二行きめる
『一』
生のことばが  出て来るが
吟味するほど  義理はない
 基本基の字は  踏んでいる
プロの仕事で  あるまいし
 手かせ足かせ  おことわり
 自分の勝手さ  云うならば

『二』
消化してぬと  言うけれど
咀嚼する気が  起こらない
 記憶なんかは  しれていて
遊びみたいな  ものだから
 期待されても  背負われぬ
 自分の都合さ  さしあたり

『三』
かびのはえてる  歌詞だけど
流れ追うよな  柄じゃない
 今が良ければ  良しとする
視野の狭さも  それなりに
 使いこなして  行くことが
 自分の運命さ  悪しからず

二行きめる
『一』
なにやら七十  もう越えた
頼まないのに  生きている
 たかが節目と  いうだけで
 普段と同じで  変わらない
こんな暮しの  この俺にゃ
祝う気がせぬ  バースデイ

『二』
なんとか七十  生き生きた
ついの住み家で  くだをまく
 虐めなんかに  遭わぬのに
 ひがみが酷いぞ  気になるぞ
こんな気持の  この俺にゃ
何が目出度い  バースデイ

『三』
なにゆえ七十  まだ死ねぬ
迎え来ぬので  生きている
 戸板でも良い  かまわぬぞ
 形振りなりふり何かは  こだわらぬ
こんな立場の  この俺にゃ
早く過ぎ去れ  バースデイ


<< 俺は生きてるここにいる >>

<< ヒツジの数をかぞえたり >>

二行きめる
『一』
一を二にする  あきないは
習いはじめの  基礎の基礎
下手な売込み  するよりも
たえず口込み  あてにした
 今はむかしに  なるけれど
 俺は生きてる  ここにいる

『二』
道化みたいに  いたけれど
やる気元気で  明け暮れた
不利を有利に  変えるよな
知恵と工夫が  売りでいた
 今ははるかな  日々だけど
 俺は生きてる  ここにいる

『三』
赤字出しても  ゴルフする
そんな世間は  背を向けた
何も云えずに  過ぎるけど
馬鹿が背広を  着ていたよ
 今は着た切り  なんだけど
 俺は生きてる  ここにいる

二行きめる
『一』
ヒツジの数を  かぞえたり
アヒルの数を  かぞえても
 寝られぬ俺は  寝付けない
べつに悩みを  抱いていぬ
しかも不安が  あるでなし
 いつも怠けて  いるせいか

『二』
ヒツジの数を  かぞえたり
タタミの数を  かぞえても
 寝られぬ夜は  寝られない
仕事してない  からだろか
動き足らずの  余波なのか
 何もしてない  せいなのか

『三』
ヒツジの数を  かぞえたり
アヒルの数を  かぞえても
 寝られぬ時は  寝られない
目玉ひたすら  閉じたまま
意識してない  夜を過ごし
 知らずに徹夜  ばかったれ


主治医より一言

雑文暴論⇒自分尺度

 3月31日に満開の桜を見に、近くの哲学の道(琵琶湖疏水そすい分線に沿った散歩道)に行ったところ、外国の観光客ばかりで大変驚きました。

 不思議と手にアイスクリームやお菓子を食べながら大きな声を出して道を闊歩しているのはアジア系の外国人で、喫茶店で優雅に異色を楽しみながら喫茶されているのは欧米人の観光客でした。文化の差なんでしょうかね。

 法然院の近くまで歩いて行くと、哲学者の西田幾多郎の石碑が目に止まりました。「人は人、吾はわれ也 とにかく吾行く道を吾は行くなり」と詠まれていました。特に紹介した深い理由はありません(笑)。

  • 桜
  • 桜
(写真をクリックすると拡大表示します) 撮影者:岡野医院 院長 岡野均先生