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なにくそ!俺はここにいる33
                         京都府 飛田洋さん(61歳)


PEGの交換日記⑧

 
さて、
前回の交換日記では、鼻からの内視鏡での《PEG》の交換で、その体験談を報告すると新年早々書いていたが訂正とお詫びをしたい。

鼻からのカメラもポータブルでなく通院とか。「そんな世間は甘くない、やはり文系」、と妻に忘れていた懐かしい言葉で教えられ、O先生にお願いすることにしていたのだが、インフルエンザの流行で次回になった。
花粉も飛び出し大事をとり外出をひかえた。
念のためカメラが挿入出来るかの実験。当日、開院前に往診され自宅のベッドで不調ならば午後から通院することに決まった。
天気予報では三寒四温で前日から大雪警報も出ていて、外出先の寒さだけが心配になった。
想定外に先生が早く来ていただき、あわてて私用を済ませる始末。
私は平然としてTVを見続け、1~2分で交換が終わった。
少し出血していたらしく娘や妻が痛くないかと、しきりに聞いて来たが、知らぬが仏で、先生の手元を見ないでいた。
拍子抜けと言う言葉があるが、体感させられた今回のPEGの交換であった。

まもなくPEGの交換後、二度目の食事になる。

主治医より一言  鼻からのカメラのポータブル化には、お金と時間がかかりますが、現在開発中です。今しばらく、待ってください。
なにくそ俺はここにいる
戦後は続く
あれから七年    生きている
世間をせぬが    ここにいる
なにくそ俺は     ここにいる
何も出来ない   私のなげき
怠けものには    わかるまい
   
打算と偽善で    暮らすなら
知らない顔で    いるがいい
なにくそ俺は    ここにいる
腹の立つのを    一人で我慢

俺の口惜しさ    吹き飛ばす

   
かれこれ七年    いたわりと
きまぐれ風の    吹くままに
なんとか俺は    ここにいる
どんな流れも    私は生きる
奇跡あるのを    明日を待つ

何もないから    無理をして
夜も寝ないで    ここへ来た
ひとつ坂越え    やっとこさ
めざす山なら    見えるけど
戦後育ちにゃ    勝負は続く
   
勝てる見込で    無茶したな
だから子孫は    こんな羽目
いらぬ横やり    いれられて
拉致で核だと    吠えられて
戦後育ちにゃ    戦後は続く   
    
何もないから    無駄はせず
そこで世界の    輪にはいる
いつか昭和は    終わったが
過去の歴史が    のしかかる

戦後育ちにゃ    負担が続く


しかり下手
ペグのうた

何も知らずに    理由聞かず
文句たらたら    しかり下手
仕事せぬなら    ミスもない
動きないなら    怪我もない
何かするから    事故に遭う
   
上に立つなら    それなりに
下を知らずの    しかり下手
今はバイトで    のろまでも
後の出会いは    わからぬぞ
だから誰にも    えらぶるな
   
敵は何処にも    いてるのに
敵を呼び込む    しかり下手
人の前なりゃ    誉めてやれ
手足いるなら    怒鳴らずに
誉めて育てて    みつくろえ
精神的には    ムラはなく
肉体的には    見込みない
栄養補給は    ペグにより
計算された    カロリーに
流感SARSも   逃げて行く
 
五臓六腑は    張り切って
三寒四温も    こだわらぬ

命をつなぐ    ペグがあり

床擦れ達が    来るでなく
元気元気で    過ごしてる
 
虫歯の恐れ    ないだろが
咀嚼は一寸    ご無沙汰だ
胃袋代りの    ペグだもの
食事途中に    パソコンが
日常茶飯に    うごいてる

主治医より一言
 飛田さん、いつも、口から甘い物を食べているんですから、虫歯予防に口のケアーを忘れないでくださいね。先生はちゃんと知ってますよ!