おーい、竜太ァ!ーごらん、インドラの網を。
【書評】
人は人生の不条理にどのように臨んできたのだろうか
悲しみが力を与えてくれ、生きる覚悟をさせてくれる
本書のタイトル「おーい竜太ァ!ー ごらんインドラの網を」は華厳経の思想が背景にある。
華厳とは華で厳るという意味で、どのような存在も、そのままでひとつの華であり、世界を厳っているとされる。
すべての存在が結びついていて、あらゆるものが等しく尊いのだ。
人は人生の不条理にどのように臨んできたのだろうか。本書の主人公加納竜太のモデルは二宮竜太、著者二宮英温の愛息である。将来の研究と治療に大きな期待がもたれていた医師の竜太を交通事故で失った著者がこの作品を書かれたのは、この不条理から逃げたり、それに憤ったりするのではなく、これを受け止め、ともに生きようとされたからだろう。作品では祖母梅子と母節子が竜太の死をいかに受け止めていくかが描かれている。
祖母梅子は第二次世界大戦で夫を失い、教員をしながら残された二児を育てた。その娘節子が結婚して竜太を授かったのである。加納竜太は父のがん死を機に医学への道を選び、勤務医となり、術前胃ろうという新しい分野を開拓し、まさにこれからというときに亡くなる。元旦の夜明け、実家に帰る途中、パトカーに追われ信号無視で交差点に突っ込んできた車に衝突されたのである。
一人息子を失った悲しみから節子は自律神経失調症になる。しかし、交通事故遺族の会が主催する「心的外傷後ストレス障害、PTSD」の講演を母梅子と聴きに行ったことから生き方が変わってくる。帰路、夕食に立ち寄ったレストランで、若くして夫の死という不条理に遇った母梅子が、一人息子を失った娘に初めて自分のある体験を語ったのだ。戦争で夫を失い、教員をして必死に生きていたときに先輩から言われた言薬だと、次のように話した。
「あなた(梅子)が今ある境遇は、あなたが選んだものではない。夫を戦争で亡くしたのも、戦争の時代にあなたが生まれたことも、決してあなたが選んだものではない。あなたは、数え切れない縁起というもので今ここに存在している。しかもあなたは、身に降りかかった理不尽なこの現実に抗うこともできない。でも、その現実を自分の運命として、しっかり受けとめる時、あなたは亡き人と共に生きていける。不条理なるままに、自分の意志で受容することで、生きる覚悟が備わる、悲運に挫けるか、悲運を生きる力に変えるかを、あなたは問われている。悲しみから力をもらいなさい、この慈愛に満ちた言葉が、私のこころの閣に光を灯してくださいました」と。
最初はすなおに受け止めることができず、これまで話してこなかったこれらの言葉を梅子が思い出したのはまさに、著者が「はじめに」で述べておられる一切の存在が因縁によって存在するという「縁成」であろう。娘の悲しみに際して梅子がこの言葉を口に出したのは、この年齢に至ってやっと「不条理なるままに」戦争で夫を奪われた悲しみを受け入れることができたからなのだ。
不条理が不条理でなくなる。悲しみが力を与えてくれ、生きる覚悟をさせてくれる。節子が自分たちにできる形で医療に貢献しようと竜太クラブを設立し、医療フォーラムの開催、NPO法人PDN(PEGドクターズネットワーク)の設立に参加する「第二部」「第三部」を読むと、不条理に遇った人々がこれほど生き生きしてくるのかと感動を覚える。梅子と節子の悲しみは人生の活力へと昇華する。PDNの活動に竜太と縁のあった人々も参加してくれて、母娘で一緒に携われるようになったからだ。亡くなった竜太が今、生きている人々を動かしているのだ。
二宮英温にとって愛息の死という人生の不条理は大きな壁であったと思われる。小説という形で自分たち夫婦が歩んできた道を辿ることで、愛息の死をそのまま受け止め、悲しみを生きる力とされた。その後押しをしてくれたのが竜太君であり、彼とつながりのある人々であった。気がついてみると著者はすでに「インドラの網」の中に包まれていたのだ。
龍谷大学文学部 英語英米文学科 教授
真宗仏光寺派多加山明照寺 住職
【書評】
鎮魂ひと筋の道 亡き竜太と共に生きる
『蒼龍は天に昇った。医師二宮竜太・32歳の生涯』と銘打った追悼の一冊に胸が震えたのは平成十年の初夏だった。それから二十年を越す平成最後の春に、今度は、『おーい竜太アー ごらん、インドラの星を』の畢生の大作・鎮魂の書を読むことができた。
一人息子の竜太が、地方病院の勤務を終え、新年から母校東京慈恵会医科大付属病院ヘ転勤する、その直前の正月元旦の早暁、初日の出を拝むために富士市の田子の浦港に向かう途上で不慮の交通事故で直死したのだった。
竜太の父英温が上梓した最初の本の第一章「元旦の悲報」の書き出しは、「富士は悲しい」だった。「未明のベルの予感は、入院中の母の容体悪化か、だったが竜太の交通事故の悲報であり、妻は悲鳴を発して、膝を折りて俯せり」、と文字を連ねてある。
赤信号に突入した飲酒運転の車に激突されて直死したという訃報は、二宮夫妻ばかりか、故郷の山口県・田布施町で入院中の母((竜太祖母) の深い悲痛だった。先祖は長崎でドイツ人医師シーボルトに医学を学び、毛利藩主の侍医だった医家の家系だけに、竜太ヘの期待は大きかった。
あれから二十年余、二宮英温・きよ子夫妻は、息子の死の悲嘆をどう乗り切ってきたろうか。それは「亡き竜太と共に生きる」という強い意志だった。
本書は仏教の根本思想である「縁起の法」がバックボーンにある。
筆者は20年を振り返り「ご縁物語」と題して、次の五行の詩を編んでいる。
はじめに悲嘆の縁ありき
われ悲しみを尋ねたれば
そが悲しみに光を見出せり
光は亡き人の力なりしか
共に生きる希望なりしか
筆者は、ひたすら亡き竜太を尋ね、知らない竜太を探す。そして直ぐに竜太が遺した医学・医療の研究に出逢う。竜太の研究課題は「頭顕部外科における新しい栄養管理法」を頭頸部がん治療の標準的な適用にすることだった。この竜太の遺志を継ぎ、活動を始めると、さまざまなご縁が生まれ、生前の指導教官や学友らの励ましと協力で「NPO法人・PDN」を立ち上げることになる。
縁は縁を求め、繋がり、縁は網の目のように拡がっていった。そして五行詩のように悲嘆の縁に光を見出し、光は亡き人の力であり、光が生きる希望へと導いていく。「赤トマレ 青ススメ」の事故の悲嘆から、命運は「富士は悲しからず」にかわり、「天国に届ける本」の出版へと、ドキュメンタリタッチの「ご縁物語」に昇華されていく。
そして光の中で、筆者は天の啓示と崇める医学界の泰斗・本聞日臣博士と出遇い、「天国の愛息に届ける本」を博士に懇請し、高著『若い医学徒への伝言』の誕生となる。こうして必然と偶然の命運が紡がれていく。
玉砕の島テニアンで、友は戦死、自分は九死に一生を得て生還という運命を分けた、本間博士が書いた級友・大島軍医大尉の追悼記『サザーンクロス』には、「わが命ある限り、亡き友たちは共に生き続けており、それ故に生かされている限り何らかの使命が与えられているという信念の源としてなってきました。我が生ある限り亡き友は生き続けます。」
博士の生涯はまさにこのフレーズに表象されるものだった。亡き竜太と共に生きると誓う筆者が受けたその追悼記の感動は、「天国に届ける本」執筆の博士への懇請につながった。
人との出合いの縁は網の目のように結ばれ、その結び目を「珠玉」が厳(かざ)り互いが互いを照らす。華厳経には仏教の根本思想である「縁起の法」が「インドラに網」を象徴として教えられている。
筆者は満天の星座に輝く「サザーンクロス」に「インドラの網」を重ねて思いを馳せる。天空に宝珠が煌き、光が降り注いでくる。
いま、筆者の不退転の誓いは、師と仰ぐ本間博士の貫いた「不昧因果 不落因果」(※)であり、博士の顕彰であり、愛息の追悼を超える平和な令和への深い祈りである。
『おーい竜太ア! ごらんインドラの網を』の表紙は、現役の高名な安野光雅画伯の夢のあるメルヘンの装幀に包まれている。 真に感銘深い。
将軍で詩人の乃木希典は、漢詩「富岳」で、富士は千秋に聳え 大八州を照らす これは地霊・人傑の神国だからだ、と歌っている。若き医師竜太はあたかも、富士に昇るがごとく天に昇った。しかし今では満天の星座の一つとして輝き、地のあらたか、人傑として家族・友人・ 関係者の全てをいつまでも、いつまでも温かく明るく照らすのである。
本書は、愛しい子息を失った悲しみから家族はどうやって立ち直ったのか、ドキユメンタリーの物語として読みごたえがある。ぜひ手にして頂きたい。
読売新聞社社友・郷里友人 秋田博
著者:二宮 英温 (ニノミヤ ヒデハル)
1935年生れ、山口県田布施出身。早稲田大学卒業。広告代理店勤務の後、1975年(株)コーマスを設立。1997年NPO法人PEGドクターズネットワークの設立に参画。現在、相談役。2010年NPO法人CIMネットを設立し、理事長。小説作品『悪戯』が、第17回(1971年)小説現代新人賞候補作となる。『ワルツとヘリコプター』で、「NHK銀の雫文芸賞2011」優秀賞(NHK厚生文化事業団主催)を受賞
おーい、竜太ァ! ごらん、インドラの網を。著者:二宮英温発売日 2019/3/20 ISBN 978-4-905355-06-9 四六版 453ページ 発行:CIMネット 定価:本体1,700円+税
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