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高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン
人工的水分・栄養補給の導入を中心として(試案改訂第一版)に対するコメント

●はじめに

根本的な問題が見過ごされているのではないか、実際の意思決定現場でのガイド力という点で評価をするならばそのような結論を持つ。
ガイドの最終局面である意思決定力が低いとか介護力が低いといった「無責任家族との対峙」という場面を想定して読み進めた場合、このガイドラインでは「家族側の利益」と「患者側の利益」とのいずれにどの程度立脚すべきなのかについて見通しが立てられない内容だからだ。これでは「専門家の専門性による判断およびコーディネート」ではなく「専門家の個人的な人間性や人格力によるコーディネート」となってしまい、誰もが平等に質の高いコーディネートの恩恵を受ける体制づくり(がん対策で言うところの均てん化)を実現することはできず、歩みを進めることすら難しいのではないだろうか。
細かな文言について語ることはできるが、このような視点から「P3 本ガイドラインの概要」に関してのみ以下のコメントをさせていただきたい。

~P3 本ガイドラインの概要 ~

1.医療・介護における意思決定プロセス

医療・介護従事者は、患者本人およびその家族や代理人とのコミュニケーションを通して、ケア(医療・介護)に関わる者(当事者)が共に納得できる合意形成とそれに基づく選択・決定を目指す。

2.いのちについてどう考えるか

生きることは良いことであり、多くの場合本人の益になる——このように評価するのは、身体的生命が不可侵の価値をもつからではなく、本人の人生の物語りをより豊かにし得る限り、より長く続いたほうが良いからである。医療・介護従事者は、このような価値観に基づいて、個別事例ごとに、本人の人生をより豊かにする(より悪くしない)ことを目指して、本人の生の環境(身体も含む)にどの
ような介入をする、あるいはしないのがよいかを判断する。

3.AHN 導入に関する意思決定プロセスにおける留意点

AHN 導入および導入後の撤退をめぐって、候補となる選択肢を挙げて、公平に比較検討し、本人・家族を中心に、医療ケアチーム、介護チーム等関係者が共に納得して合意できる点を求めて、コミュニケーションを続け、医学的に妥当であり得ることは当然のことながら、なにより本人の意向(推定も含め)と人生にとっての益・害を考え、家族への影響や可能な生活環境の設定等をも併せ考えて、個々の事例ごとに最善の選択肢を見出す。

●『1.医療・介護における意思決定プロセス』に関して

◇『高齢者ケアの意思決定』の主体者についての提示…意思決定は誰が誰にするものなのか?
高齢者本人が唯一意思決定権を有する。
生きている限り認知力の有無や生計維持力の有無等に関わらず基本的人権は保障される。ゆえに意思決定は高齢者本人が自分自身に対しする権利と義務がある。

この点は大前提として明確にすべきである。
しかしながら、本人の自由意志が働かないからこそ代理人による意思決定がなされるのであり、その点からも当ガイドラインは高齢者本人というよりはむしろ代理人同士のコミュニケーションツールである。
よって、次に代理人となる人々の定義が示されるべきである。

代理人は単一ではなく複数存在する。
一般論としてそれぞれの立場における 優位性、責任、義務、権利、保有すべき知識力 等を示し比較できる資料添付が必要である。(各専門職は他の職域について知らない為)


i ) 代理人:家族・親族・親しい友人・養子縁組・成年後見人・ケアマネ・ソーシャルワーカー・地域包括・医師・看護師 等
ii) 比較内容:同意書署名資格・退院後の生活支援・幸福支援(本人の趣味趣向を知っている、一緒に楽しめる)・資金支援(私的、公的)・延命処置(一時的、継続的)・医学的判断(救命医、在宅医)・医学的基礎知識(病棟看護師、訪問看護師)・社会福祉(権利擁護)に関する判断や権限・在宅生活継続上の困難さの査定・必要となる環境整備と維持のための費用試算 等

◇ガイドラインの果たすべき役割の第一義とは
医療関係者と家族が向き合うとき、「医療行為を施す側」と「依頼し対価を払う側」の対立関係に置かれる。しかしながら、患者本人との関係性で見るならば医療関係者も家族も共に代理人という意味で第三者である。(どんなに患者思いの家族であっても命や認知力を分け与えることはできない。)
代理人同士という共通認識の形成、これがガイドラインの果たすべき第一義であろう。

●『2.いのちについてどう考えるか』に関して

◇延命される側の視点の提示
延命された老人は、はたして、自らの人生の物語をより豊かになどという悠長な発想を持つのだろうか。

死をリアルに意識しないからこそストーリーを語ろうとするのであって、余命宣告を受けた場合だけでなく死に損ねたという意味でも死に歩みを進めゆく日常においては「人生の実感」という意味合いの強烈な生きる喜びを得るために真剣であるはずだ(その反動としての虚無や絶望も含む)。と想像することに異論があるだろうか。

認知症だと判断されようが植物状態で脳死にほど近いと判断されようが、その生命自体にしてみれば無縁の第三者の勝手な言い分にすぎないだろう。本能としての人間の欲求は同じ人間だから確信でき信頼に値するのであって、「既存の科学的根拠」に該当しないからという理由で議論を煮詰めることができない現状を標準と定めるべきではない。AHN導入に際して倫理的な二側面の議論(するべきかせざるべきか)が発生する所以でもあろう。つまり、「新たな科学的根拠」を導き出すことが正しいのである。当ガイドラインはその伏線としての使命を持っていると考えられる。いずれにしろ延命される側に議論への興味や価値は皆無であろう。ならば少なくとも延命される側の視点『私の幸福は誰がどの様にして担保してくれるのか』という骨格を明示せずに「いのち」について相対的表現や抽象表現をすることはAHN導入という人工的に命を延ばす行為のガイドラインとしては無責任と言わざるを得ない。

例えば、P12、注34の『…認知症の…延びたいのちを本人らしく過ごせるかどうか疑わしい…本人に近い人々の思いも反映しており…本人の利益を常に念頭に…』について言えば、本人らしさを左右するのは家族の質でしかない。専門家が家族に面と向かった時、そこに議論の的を絞り込み本人の利益のために家族を変えていけるのか?常に念頭に置くということは「信念をゆるがせにせず最良の結果を導くということ」であり、現場が抱える苦悩はその点に尽きるのだからその方途を示すべきである。

●『3.AHN導入に関する意思決定プロセスにおける留意点』に関して

では、誰がどの様にして人生の喜びを与えられるのか?

この議題への到達こそが意思決定プロセスの終着点であり、当ガイドラインの目指すべき役割であると考える。
そして、そのために必要となる具体的な課題の洗い出しと検討(暮らしや人生観の変えどころは何か?どの段階でどう手を打つべきか、それによって価値ある選択肢が増えるのか?不幸と我慢の違いは?)を専門家と共に行う中で初めて家族は未経験の未来に対して「予想図の青写真」が描けるようになり、ここでようやく本当の意味で意思決定カンファレンス、「予想図作り」の席に着くことができるのである。それは責任ある素人として意見を発する第一歩ともいえる。それでも若葉マークであることを忘れてはならない。こういった背景に配慮しないことが家族の意思が二転三転すると言われる事例の原因のひとつだと推察する。経験が浅いまま大臣になった人の失言に似ていると思う。しかしながら、きちんとしたプロセスを辿るなら、「家族」というものは誘導していくことができる存在である。

●その他追記すべきことに関して

◇同意書の署名資格者についての提示
同意書へのサインがなければ造設・装着は不可能である。同意書の署名資格者についての記述を盛り込むべきである。
また、その点を明確にすることで「家族」という立場、存在について客観的・道義的な定義が可能になってくると考えられる。
当ガイドラインは現場において患者本人よりもむしろ家族とのコミュニケーションツールとして活用されるケースの方が多いと予想される。
ゆえに『当事者性の低い家族』、『家族に介護負担をかける以上は』といった家族に関するあいまい表現、普遍性のない表現は心がけて避けるべきである。家族力の低下は単なる社会問題であって家族の定義とは別次元の課題である。
家族力の低下を社会資本がどう補完するかはAHN導入において重要な議題であるからこそ、延命と家族力の補完の議論を混同させない視点、記述方法が求められるのではないだろうか。別建てで取り上げ、掘り下げるべき内容だと考える。これまで、それらが混同されてしまった為に一部家族や親族の「とりあえず人生の継続までを手助けしたのだから責任の一部はきちんと果たした。」というような詭弁がまかり通ったともいえるだろう。

◇AHN導入のあるべき姿(モデルケース)の提示…スケールとしての機能
案件ごとのイレギュラー部分の調整こそ倫理的妥当性のある意思決定の中心作業である。
導入後から看取りまでのQOLが100%好事例である、と言えるモデルケースの提示と複数の実際の事例の添付によってガイドラインがスケールの役割を果たし、現場で扱う案件ごとのイレギュラー性が自明の理となりうる。多職種間での議論、家族との意見調整には必要な工夫である。(基本的に医療者に対して福祉職は意見しにくい、専門職は家族に意見しにくい社会構造であるから)

●最後に

当ガイドラインが策定されるに至った背景を考えると、専門職が市民を啓蒙し(説得・教育・共感し)社会をより良く牽引していくための実行力低下が国全体に蔓延したことが挙げられるのではないだろうか。国語力の低下が懸念されていることも併せると読み手の読解力、理解力、判断力、といった点を考慮して、記述の在り方に再考の余地があるように思われる。

東京都在宅療養推進会議委員 患者家族代表 宮崎 詩子