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二度の脳梗塞、肺炎、不明の熱などで入退(転)院を繰り返しながらも、途切れることのないリハビリテーションを経て市川のご自宅に戻ってきた長嶋吉男さん。現在胃瘻から必要な栄養・水分を補給しながら、味わうことを楽しむ生活を送っている。その隣には常にご家族の献身的な姿があった。

「再び食べるための胃瘻」にたどり着くまでのご苦労も含め、妻・雅子さんにお話をうかがった。

Ⅳ 胃瘻を使いこなす(体験記)
1.味わう喜び、それを支える喜び。胃瘻のおかげでリハビリに集中!


千葉県市原市 長嶋吉男さん・雅子さん

PDN通信 17号 (2006年10月発行) より

(所属・役職等は発行当時のものです)

絶対家につれて帰ろう

長嶋吉男さん
雅子さんが丹精された
月下美人の咲く夜に

平成15年5月、トイレに行こうとして立ちくらみのように倒れた二度目の脳梗塞。検査のためにと一晩入院するつもりが、翌日は急変。左半身麻痺で唾液を吐き出そうとして咳き込んでいる吉男さんの姿があった。雅子さんは語る。

「とにかく、一度目の退院後、順調に回復していただけに、恐らく水分不足で二度目の発作を起こさせてしまったことが悔しくて。

熱は下がらないし、いつ気管切開になるかもわかりません。左右の麻痺が反対になって、今まで動いていた右手が動かなくなってしまったとき、ドクターには『この状態で生きている方が不思議。物事を理解して意志疎通が出来る状態には決して戻りません』とまで言われました。右視床脳底動脈が詰まったのだそうです。

でも私は、絶対家に帰れるようになると信じていたので、ケアマネさんに相談して、まだ退院の目処も立っていないのに、在宅ですぐにリハビリに取り組めるように予約を入れてもらいました。マッサージなど、入院中からできることは、教わって私がやっていました。

鼻からチューブが入っていたので、飲み込む訓練をするのは苦しいのではないか、と私は思っていました。何か他に方法は無いのかとST(言語聴覚士)さんに尋ねたところ、胃瘻というのがあることを知ったのです。それなら造ってほしいとお願いにいったのですが、ここでは胃瘻を造っていただけませんでした。」

転院、また転院…

入院から1ヶ月、転院の手配をするように病院側から言われた長嶋さん一家。リハビリテーション専門の病院を見つけ、吉男さんを寝台カーに乗せ、家族全員で押しかけた。

「絶対に病気を治して家につれて帰りたい、そのためには是非、こちらの病院でリハビリをしてほしい、という思いを伝えたくて。食事時間に私たちが隠れて食べるのではなく、たとえ一口のゼリーでも一緒に食べる生活に戻りたい、とお願いしました。」

運良くすぐに入院が許可され、すぐにリハビリに取り組むことが出来た。主治医と雅子さんの意見が一致して、胃瘻も造設。

せっかく胃瘻を造ったのだから、積極的に嚥下リハビリをしてほしいと雅子さんは訴え、STによる訓練と、歯科の口腔ケアを取り入れてもらった。それ以外にも、筋肉が固まらないように、舌の運動やアイスマッサージを雅子さん自身が欠かさず行なった。

「病院で行なっているリハビリや生活リズムを積極的に身につけて帰りたい」と、雅子さんは、毎日8時半から夕方吉男さんを寝かせるまで、ずっと病院にいたという。

「そこまでやっても、トロミのついたものをスプーン1杯飲み込めない状態のまま。もっとリハビリを受けて、少しでも回復に向かわせたいと思っていましたが、12月には退院宣告。ところが転院先のベッドの空き待ちのおかげで、運良く約2ヶ月間退院が先延ばしになり、リハビリを続けることが出来ました。

翌年2月5日、いよいよ転院です。家に連れて帰る予定だったので、自宅近くで診療科目にリハビリテーションを掲げている病院を選びました。ところがその頃はまだリハビリの体制が整っておらず、以前のような嚥下・言語・作業療法はまったくしてもらえなかった上に、面会時間も短くてマッサージもできません。少しでも状況を良くするために、私からもいろいろ提案させてもらいました。」

食べたい気持ちが起きるように

自宅のバルコニーで久々の家族全員集合
自宅のバルコニーで久々の家族全員集合

「3月6日の退院直後から、嚥下リハビリの訪問歯科診療(戸原先生)と訪問口腔ケアを開始し、初めてVE(嚥下内視鏡)検査で主人の喉の状態を知りました。8ヶ月後の東京医科歯科大学での検査では、主人が飲み込んだものが左側だけをスッと通っていくのを、はっきりと見ることができました。こうして歯科衛生士さんと二人、先生に指示された飲み込みやすい姿勢や角度をクッションで調整しながらの、嚥下訓練が始まりました。

この頃私は『嚥下訓練は、まず、食べたい気持ちを起こさせなければ』と考えていました。そこで主人を食卓まで車椅子で連れて行き、いつも座っていた席に着かせ、『お父さんゴメンね』と言いながら、以前食べていたおかずやそれを食べる私たちを見せていました。それを見たら食欲がわいて、つばを飲み込めるようになるのではないかと思って。

形状は違えど味はおせんべい
形状は違えど味はおせんべい

同時にそれは、自分の前で他人が食べることに慣れてもらうためでもありました。今はまだ食べられない、という自覚がなければ、他人と一緒のテーブルについて、楽しい時を過ごすことも出来ませんから。これには戸原先生も『同感です』と頷いておられました。

ある日、テーブルに置いてあったおせんべいの袋を主人が持っていたので、何とか味合わせたいと思って、いろいろ工夫してお粥のようにして食べさせてみたんです。喜びましたねぇ、おせんべいの味がしたといって。」

その後、吉男さんは、高熱による緊急入院で3週間以上点滴・安静を強いられたり、原因不明の顔面神経痛症状が出て唇を閉じられなくなったりで、飲み込む機能は保っているものの、喉へ送り込むことが出来にくくなってしまった。VE検査でも喉の右側に食べ物がたまりやすいことがわかっているので、「状態に合わせて好きなものを味わい、最後は口の中にたまったものを一緒に運んでくれるお茶ゼリーを欠かさないように」との指示に従い、無理せず嚥下訓練を続けている。

胃瘻があって今の主人がある

記念すべき一口は、この煮魚
記念すべき一口は、この煮魚

「今の主人があるのは胃瘻のおかげだと思っています。正確に必要な栄養や水分を入れられますから、安心して味わう楽しみにこだわることができます。49kgくらいだった体重も、今では58kg前後を保っています。

1ヶ月に1度、戸原先生の訪問時のたびに、VE検査で飲み込みの様子を一緒に確認しています。私が作ったものが安全に飲み込めるかどうかも、テストしてもらっているんです(笑)。やっとまたここまで来たのですから、絶対後戻りだけはしたくありません。だからこそ、慎重に焦らずに楽しみながら取り組んでいきたいと思います。」

お孫さんの布上真裕さんは、脳梗塞後、初めて吉男さんが魚を口にしたときのことを、雅子さんの生き方そのものとも言える「あきらめないことの大切さ」という題名で作文を書いている(財団法人児童憲章愛の会主催・第53回全国小中学生優秀作品コンクール、佳作受賞)。

ご本人だけでなく、家族の皆さんにとっても喜ばれる胃瘻であったことがお話から伝わってきて、聞き手として大変嬉しく思った。

(聞き手:PDN編集部 岡崎)

PDN通信 17号 (2006年10月発行) より

(所属・役職等は発行当時のものです)