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まだその頃でも娘の織絵は口を十分に開けることが困難な状態であり指示動作にも十分対応できるほどには回復しておりませんでした。毎週訪問してくださっている、金井内科ドクターと西部訪問看護ステーションのナースに数種類のマウスピースを用意して頂きました。小→大へと練習が開始されました。又発病当時の転院先であり8ヶ月間の入院生活を過ごさせて頂きました市立函館病院の神経内科外来を数度受診することができまして、丸尾神経内科ドクターの許可も頂くことができました。
その後、季節と体調に合わせた最もよい時季であります平成14年5月17日に函館市医師会病院にて施術して頂けました。

 「PEG」にしたいと思いましてから何と4年近くの歳月が流れました。もっと早くにと思わなくもありませんでしたが、織絵の脳や体力の回復を待たなければならなかった事等を考え合わせますと最も良い時期に施術して頂けたと納得し、安堵と感謝の気持でいっぱいです。

3年前から母ひろ子さんが作成している織絵NEWS 

その後は「PDN談話室」を参考にさせて頂いております。
施術して下さいました医師会病院の鎌田ドクターも退院後には西武訪問看護ステーションの村山所長も、とてもとても積極的な指導をして下さり、一番大切な手術後数週間の処置が適切だった為、その後も全く一度のトラブルもなく1年が経過しようとしておりますが、優等生の見本のようなPEG生活をさせて頂いております。当然マイナス面はひとつも見当たらず、外出も外見を気にすることもなくなり、8年以上のマーゲンチューブとのお付き合い(?)が、今ではウソのように思えます。最大のプラス面は、リハビリが広範囲になり数倍のスピードで回復し続けているのではと思われることです。

 尚、織絵は平成11年7月11日にEメールにて先にのべました信州大学付属病院神経内科医関島ドクターにより新たな病名についての回答を頂きました。     同心円硬化症=Balo病

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岩田 織絵(29歳)


使用キットメディコン(バード)PEGキット
バンパー型  チューブ型  20Fr
発病大学1年生  19歳
          
発病2ヶ月後に気管切開手術
現在も2週間に1度自宅にて金井内科ホームドクターとカニューレ交換をしています
自宅療養丸8年経過

筆者:岩田 ひろ子(母)
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