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経鼻チューブから解放。PEGで7年間の在宅介護

 1996年10月脳出血発病後の一年間は、気管切開/肺梗塞/肺炎/MRSA(院内感染)と目まぐるしく襲いかかる病のほかに、当時の栄養摂取方法だった経鼻管とも闘うことになろうとは、誰が予想することができたでしょうか。

 多いときは一日に5回も鼻から管を抜き、泣きながら動かない体を懸命に使って、嫌悪と拒絶を示す父を看護婦と一緒に押さえて無理に管を挿入することは、父も母/姉/私のどちらにとっても(経験者でなければ解らない)辛苦の日々でした。

 そんな日々も父の高熱と吐血、下方からの出血で限界を認識。切羽詰まった状況での私達は、新聞に掲載されたPEGを選択。担当医は「胃液に良くない」などと新聞よりも説得力に欠ける否定の言葉を述べつつも転院を許可。施術は入院日当日に行われ、短いものでした。吐血の原因も判明し、一週間後にはきれいに治りました。

 鼻から管を付けていない父の寝顔を見るのはちょうど一年ぶり。発病前の父の顔が戻ってきたのです。

 心中のしこりが解決するとこれだけ違うのでしょうか。父は帰宅を、母/姉/私は在宅介護を目指して意欲的なリハビリの日々。おかげでベッドを起こしてもクッションで支えなければ動かない右側に倒れていた父が、車椅子に乗れ、ベッドの端に1分近く自力で座ることが可能なまでに回復。帰宅を成し遂げることができました。

 その後は2000年4月に施行された介護保険制度で最重度の「要介護5」に認定され、各種サービスを利用し、病院にいるわけではないので発熱・風邪には注意しています。些細なことでも一喜一憂しながら家族が寄り添って生活しています。そしてお天気が良い暖かい週末は、母/姉/私は支度を済ませて父の部屋へ。
「さあ、お父さん・・・」

施術者:峯岸 勇造(73歳)
脳出血による右上下肢機能全廃
気管切開開口開放
構音障害
PEG歴:3年6ヶ月
筆者:峯岸 聡江(次女)