NHK ETV特集 あなたはどう考えますか?5
―食べなくても生きられる~胃ろうの功と罪―
最後に、皆さんからの感想・ご意見を拝見した上での、本番組の案内人、鈴木裕理事長のコメントをご紹介します。
より良い胃ろうに導くための通過点としての議論を
鈴木 裕(PDN理事長・国際医療福祉大学外科教授)
私たち一般市民にとって情報源の一つとなるマスコミ報道は、これまでは、胃ろうの光の部分が取り上げられることが多かったと思います。ところがここ数年、影の部分と言いますか、胃ろうが正しく使われない事による問題点や、ビジネスに利用されている事例など、胃ろう本来の姿が誤解されるような報道も散見されるようになってきました。
胃ろうは正しい適応に従って正しい使い方をすれば、医学的にも有用で患者さんのためになるものです。そのことは、この番組を通して、まず、伝えたいことでした。
しかし一方で、終末期を迎え、静かに閉じられたであろう生命が、胃ろうによって長く生きることになることが幸せなことなのか、その答えに「正解」はなく、医療者もご家族も模索しているのです。
先日、九州で重症身障児(者)の施設を見学してきたのですが、親御さんが献身的な介護をしている姿を見て思ったのです。高齢者が「生産能力が無くなって生きているだけ」と言われている状態と、重い障害を持ちながら子どもたちが生きている状態は、ある意味一緒なのではないか。ある65歳の入所者は、子どものときの障害を持ったまま様々な支援を受けて、ここで生活しています。つまり、高齢者に対して「胃ろうで生きていることが、時に本人を苦しめているのではないだろうか」と考えることは、障害を持って生きている子どもたちも、同じように苦しめていることになるのではないか、とも言えることになります。そう考えると、簡単に答えが出せることではありません。
だからこそ、この番組を通して、国民一人ひとりが真剣に考えていきましょう、と問題提起をしたかったのです。
胃ろうで強制的に栄養し続けることで「延命」させているという表現が見られますが、医学的に見て本当に終末期といわれる死の直前には、胃ろうであろうと点滴であろうと、体は何も受け付けなくなるので、その時はもう何もしなくていいのです。
ただし、そのような状態になるのは生命を閉じる直前ですから、口から食べられなくなったイコール体が受け付けない、ということではありません。その正しい判断をすることこそ、医師の役目です。
「胃ろうのあり方を見直す」と言う私の言葉の意味は、患者さんを全人的に見たときに、胃ろうがその方にとって良い道具としての役割を果たしているかどうか、一人ひとりが国民的課題として考えようということなのです。かつての日本からは想像もできないような急激な高齢化社会を、幸せな豊かな社会にするためには、法整備も含めた日本独自のシステムを作っていく必要があるのではないでしょうか。
マスコミ報道は、胃ろうの解決されていない問題点を指摘していますが、胃ろうそのものを否定しているのではありません。日本でこれだけ胃ろう患者数が増えているのですから、それを「いい胃ろう」にするためには、問題点を解決し、良い医療を提供する道具に育てていかねばなりません。そのことを一人ひとりが真剣に考えてゆくために、問題点を指摘する報道内容も材料として、皆さんで大いに議論していきましょう。
「『質の悪い生』に代わるのは、『自己決定による死』ではなく、『質の良い生』であるはずです。」
PDN通信第12号の「おサル先生の在宅胃ロウ入門」で、小川滋彦先生が立岩真也氏のインタビュー記事から引用された言葉です。「質の良い生」の延長にこそ、神のみぞ知る「穏やかな終末」がやってくるのではないでしょうか。
障害を抱えていようと、残された時間が少なかろうと、「どう死にたいか」を決定するためには、「どう生きたいか」を問うことが必要です。それを実現するために社会の仕組みをどう変えてゆけばよいのか、誰もが受けられるサポート体制を創りあげることが、次の世代への私たちの役割ではないかと思います。
この記事に関することも含め、皆様からのご意見をお聞かせください。