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あきらめないことの大切さ

PDN通信第17号に登場してくださった長嶋吉男さん・雅子さんのお孫さんが中学一年生のときに書いた作文です。

第53回全国小中学生優秀作品コンクール(財団法人「児童憲章愛の会」主催)作文の部で佳作を受賞しました。ご本人および財団の許可を得て掲載させていただきました。

全員集合
自宅のバルコニーにて久々の全員集合。
左から雅子さん,真裕さん(孫),吉男さん
後:淳子さん(長女),前:一華さん(孫),信子さん(次女)

あきらめないことの大切さ

布上 真裕(ぬのうえ まひろ)

8月9日のことだ。さっきまで電話をしていた母が、興奮した声で言った。
「おじいちゃんが煮魚食べたんだってよ。」
「ええっ!」
私は嬉しい驚きで、思わず声を出してしまった。何故私達がこんなに驚いているのか。話は2年前の5月27日に遡る。

平成15年5月27日、突然の電話に、母は真っ青になった。

「おじいちゃんが倒れた」

長嶋吉男さん
雅子さんが丹精された
月下美人の咲く夜に

その知らせはすぐに私にも伝えられ、母と私は(父は会社に居ていけなかった)祖母の家に塾も休んで飛んで行った。祖父は救急車で運ばれ、近くの病院に入院する事になった。原因は脳梗塞だったのだが、前にそれで入院したときよりも、ひどい状態なのはあきらかだった。それもだんだんと悪化してゆき、ついには手足を動かせず、口も半開きのままで、自分の唾を飲み込むことすら出来なくなってしまったのだ。私は筋肉の落ちきった、いわゆる「病人」になった祖父を見て、「頑張れば良くなるよ」と言いきかせながら、心のすみから沸いてくる、「もうだめだ、このまま死んでしまうのではないか。」という悲しい、少し恐怖のまじった気持ちをおし殺していた。


後でわかった事だが、祖父は5月27日の朝、日記にこう書いていたらしい。「今日は雅子(祖母)の誕生日。良い日になりますように。」思いは見事に裏切られたのである。

祖父は鼻から管を入れ、流動食を入れるようになった。医師からも、もう飲み込むことも出来ないし、改善もせず、いつ死んでもおかしくないというような事を散々に言われてしまった。ここが運命の分かれ道。普通ならあきらめてしまうところだが、祖母は「それでも努力をすれば良くならないはずは無い。出来る所まで頑張ろう。」と前向に考え、みんなを元気づけた。そして医師にどんな絶望的な事を言われても、負けずにリハビリをやり通したのだ。食事を2回も抜かれたり、飲み込みが出来ないのに普通の歯磨きをやらされたり、たまった痰を吸引してもらえなかったりと、病院の不手際で肺炎になり、体力を失ってしまった祖父だが、祖母のリハビリの成果も出て、指がほんの少しだがぴくりと動かせるようになった。それでもその時は大きな進歩だと大喜びしたものだ。