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あきらめないことの大切さ(つづき)

本格的なリハビリをするため、祖父は市内でたった一つしか無い、リハビリテーション病院に転院することになった。リハビリテーション病院での祖母の活躍はすごかった。看護師さんから着がえの方法などを教わり、自主的なリハビリも毎日行い、何についても真剣で、熱心で、めまぐるしく働き、祖母の方が倒れないかと心配する程だった。祖父もそれに応えてだんだんと良くなり、私がお見舞いに行った時、車椅子を足で蹴って進めて私の方に来るという事さえあった。これには医師達も驚いていた。

しかし、こんな祖母でもあきらめかける位回復の少ない機能があった。飲み込みだ。そのとき祖父は、胃に穴を開けて直接流動食を入れる「胃ろう」と言う方法で食事をとっていたのだが、飲み込み訓練が成功することもあまり無く、ずっと胃ろうのままだろうと言われていた。


ところが平成16年の暮れのことだ。

煎餅粥 形状は違えど、味はお煎餅
せんべいがゆ
形状は違えど、味はおせんべい

「おじいちゃんがゼリーを食べた!」

少し前まで考えられなかったことだ。祖母だけでなく、祖父も治ろうと頑張っているのだということが、12月14日に撮影した、飲み込む様子のレントゲン映像を見ると伝わってくる。

という訳で、どんどん回復していく祖父はついに退院する事になった。普通なら「要介護5」の認定の得点を目いっぱい使うところだが、実際使ったのはベッドを借りるくらいのもので、ヘルパーさんもたのまず、家もほとんど改造しないで、祖母は一人で介護をこなした。家事や庭の手入れにも手を抜かないので、病人が居るとは思えない程家がきれいで、その上祖父もますます回復しているので、往診に来た医師も目を丸くして驚き、感心していた。そしてついに介助有りのつたい歩きで階段を下り、車椅子で散歩が出来る位までになり、7月19日には七分がゆが食べられるようになり、とうとうこの日がやってきた。


記念すべき一口は、この煮物
記念すべき一口は、この煮物

「おじいちゃんが煮魚食べたよ!」

医師の許可が下りて、煮魚やよく煮たカボチャ等は食べても良いようになったのだ。今の祖父は、倒れてすぐの頃と比べると、奇跡というしか無い程良くなっている。言葉もかなりスラスラと話すようになった。


私は祖父のこの回復を見てきて、あきらめず、少しの可能性でも信じて努力する事の大切さがよくわかった。そして、家族が協力すると、他人では出せないような力が出せるのではないかと思った。私はここに書ききれない程すごい努力をし、奇跡を起こしてきた、祖母と祖父を誇りに思い、尊敬する。私も、何があってもくじけずに、少しの可能性も信じて頑張れる人になりたい。そのためにも、今以上に積極的に、祖父祖母孝行しなければいけないと思う。祖父のこれからの回復が楽しみだ。

(2005年9月4日 当時中学一年生)