HOME > トラブル&ケア > おサル先生の在宅医療入門 > 「一番輝いていた時!」の巻

その年の冬は大変寒く、かぜをこじらせた服部さんは高熱が続くため、大学病院に入院することになった。それから二週間ほどしたある日、おサル先生は夢を見た。


…気がつくと、おサル先生は峠のふもとの駅を出発する機関車の運転室の中にいた。左側の機関士席に中腰で腰掛け、高い位置から機関銃のように長く伸びた加減弁ハンドルを、ぶら下がるように手前に引いたのは、若き日の服部さんだった。溶鉱炉のように真っ赤な焚口に、石炭を片手シャベルで次々とくべているのは息子さんだった。機関車はどんどん加速して、運転室は立っていられないほど激しく揺れる。左カーブを抜けると、服部機関士は腕を伸ばし、天井から吊られたヒモを強く二回引っ張る。耳をつんざくような汽笛が短二声。それに呼応するように後方から同じく短二声。振り返るともう一台の機関車がぐいぐいと背中を押してくる。力行運転の合図だったのだ。

服部機関士は手元のリバーハンドルを回して締切率を伸ばしていく。加減弁ハンドルは一杯まで引いてあるが、排気音の間隔が次第に広がって、列車速度が落ちているのが分かる。勾配がきついのだ。機関助士の息子さんは休む暇もなく黙々と石炭をくべ続ける。
二台の機関車は今にも停まりそうなくらいゆっくりとした速度で倶利伽羅トンネルへと向かって行く。ボッボッボッと腹にずしりと堪える排気音。噴き上げた煙がボイラーにまとわりつく。ブーンとカマ鳴りがし、安全弁が吹く。車輪のきしむ音。

ふと運転室から外に目をやると、トンネルの上を通る国道に父親に抱かれた小さな子供の姿を確認した。ああ、あれは三歳の自分に相違ないと思った瞬間、機関車はトンネルに突入した。轟音と共に容赦なく煙が運転室に入り込む。もうもうと立ち込める煙に天井の裸電球もかすんで見えなくなると、おサル先生はそれが夢だったことに気がついた。しかし、まだしばらくは機関車の排気音のような胸の高鳴りを感じていた。


おサル先生は夢うつつの中で、いままで見たくても見られない夢を見ることができたのは、服部父子との出会いのおかげだと感謝した。そして、父が見せてくれたはずの機関車の姿を思い出せないのは、その時、自分の意識が機関車の運転室にあったからではないか、という不思議な確信をした。

入院中の服部さんが深夜に肺炎で亡くなったことを知らされたのは、翌日の午前の診療を終えた時だった。


[参考資料]

・「日本の蒸気機関車」、ネコ・パブリッシング社、一九九四

・「復活SL完全ガイド」、イカロス出版、一九九九

・季刊「蒸機の時代」、プレス・アイゼンバーン社

前へ1234次へ