まだその頃でも娘の織絵は口を十分に開けることが困難な状態であり指示動作にも十分対応できるほどには回復しておりませんでした。毎週訪問してくださっている、金井内科ドクターと西部訪問看護ステーションのナースに数種類のマウスピースを用意して頂きました。小→大へと練習が開始されました。又発病当時の転院先であり8ヶ月間の入院生活を過ごさせて頂きました市立函館病院の神経内科外来を数度受診することができまして、丸尾神経内科ドクターの許可も頂くことができました。 | |||
「PEG」にしたいと思いましてから何と4年近くの歳月が流れました。もっと早くにと思わなくもありませんでしたが、織絵の脳や体力の回復を待たなければならなかった事等を考え合わせますと最も良い時期に施術して頂けたと納得し、安堵と感謝の気持でいっぱいです。 |
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その後は「PDN談話室」を参考にさせて頂いております。 尚、織絵は平成11年7月11日にEメールにて先にのべました信州大学付属病院神経内科医関島ドクターにより新たな病名についての回答を頂きました。 同心円硬化症=Balo病 |
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岩田 織絵(29歳)
筆者:岩田 ひろ子(母) |